テレビウォッチャー

2015年2月2日月曜日

第20回:視聴「質」調査の導入をめぐって④

「ピープル・メータ調査」導入に向けた駆け引き 
  この調査導入に積極的な主協(日本広告主協会:現・日本アドバタイザーズ協会)は、日本ニールセン社には“応援するから”と煽り立て、新聞や雑誌などの活字メディアには毎週のように視聴質の重要性を論じるニュースを配信した。
 他方、導入に慎重な民放連(日本民間放送連盟)は、“時期尚早”、“ベターな測定方法が開発されてからでも導入は遅くない”とのスタンスを決め込み、主協の強硬な攻勢にも一歩も後に引くことはなかった。こうした状況にあってさえ業協(日本広告業協会)は、どっちつかずの「模様見」を決め込んでいたのである。
 渦中のビデオリサーチは動じることはなかった。なぜなら測定機の開発という技術面も、調査サンプルの抽出やサンプル世帯の説得、測定機の設置といったリサーチ面においても“いつでも準備OK”の状況にあったからである。そしてあくまでも導入に向けての三者合意(主協・民放連・業協)がなされたときには、遅滞なく事が運べるよう体制を整えていたのであった。

ニールセンが「勇み足」
 「ピープルメータ」調査の早期導入こそが、ビデオリサーチとの売り上げ面での遅れを取り戻すのみならず、以後の視聴率調査ビジネスを掌握する切り札と考えたニールセンは、主協を後ろ盾に、199411月を機にピープルメータ調査を実施すると宣言したのである(1994/7)。直ちに民放連からは宣言の「白紙撤回」の申し入れがなされ、さもなければ“現行視聴率データの購入契約破棄もやむなし”との強い意向が示されたのである。
 ニールセンは、民放連の「白紙撤回」を単なる脅しとしか思わなかったのだろうか?それとも“主協という強い見方があるから”との過信があったからだろうか?いずれにせよ、予定通りピープルメータ調査を実施したことで、最大の顧客となるはずの民放連を敵に回してしまったのである。
 東・阪・名3地区の主要民放テレビ局はニールセンが宣言通り、この調査に踏み切るや、即刻、契約の破棄を申し入れたため、同社のテレビ局からの視聴率調査収入は「ゼロ」になってしまったのである。

したたかだったビデオリサーチ 
 こうしたニールセンの危機を尻目に、ビデオリサーチの示した「態度」は実にしたたかであった。199410月、測定機の開発状況を開示し、実験結果をまとめたた「データ・ビジョン94」を銀座東武ホテルのバンケット・ホールを借り切って開催。ニールセンがピープルメータ調査を開始、民放連が記者会見でその暴挙をなじる「見解」を発表するのを待って、今がチャンスとばかり、300世帯によるピープルメータ調査の実験を開始するとともに、結果を民放連、主協、業協に向けて発信。三業態のワーキング・グループとの共同研究を提案したのであった。

 この「作戦」は、見事に的中した。機械式個人視聴率調査から弾き出されるデータに、ワーキング・グループは目を見張り、ビデオリサーチの取り組み姿勢を評価するとともに、学者諸氏を交えての「検証会」を始めたのであった。
(つづく)