テレビウォッチャー

2015年8月4日火曜日

第26回 デジタル化時代の視聴率調査(その2)

わが国のデジタル化
 1997年、デジタル放送に向けた審議が開始され、2000121日にはBSのデジタル放送がスタート。200312月には東・阪・名の三大都市圏において地上デジタル放送が、200612月には、全ての都道府県庁所在地での地上デジタル放送の受信が可能となり、まさに「デジタル化時代」が現実のものとなったのである。
 デジタル時代の到来は、テレビ視聴率調査にどのような影響を及ぼしたのだろうか?
 
選択肢の増加
 デジタル化での大きな変化は「多メディア化」と「多チャンネル化」である。今までのテレビ放送は関東地区でいえば、NHKの総合と教育、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京などアナログの7局のほかに、MXテレビ、テレビ神奈川、千葉テレビ、テレビ埼玉、群馬テレビ、栃木テレビなど独立U局とNHKBS12それにBSハイビジョンを加えた計16局であった。それがデジタル化されることによって、一人の人が平均して見ることの出来るチャンネル数が、少なく見積もっても4050チャンネルとなったのである。視聴者が見る番組の数が格段に増えたことで“送り手から受け手へ”の一方通行であったこれまでのテレビ局と視聴者との立場が逆転し、“受け手主導による番組選択時代が到来”したのである。
 加えて録画・再生機器の発展により、人々のテレビ視聴はライブ視聴からタイムシフトによる視聴が日常化するようになってきたし、また人々の生活行動の変容により、自宅内のみの視聴から友人・知人宅や職場、公共施設など、自宅以外の場所での視聴機会も多く認められるようになった。
 またデジタル技術の発展により、テレビ受像機のみによる視聴からパソコンやワンセグをはじめとする各種モバイル機器による視聴の可能性へと大きく転換していったのである。

新たな測定機の開発
  申すまでもなくデジタル放送は従来のアナログ放送の周波数とは帯域が大きく異なる。このため、従来の視聴率調査測定機によるテレビ視聴を測定することは叶わなくなった。新たにデジタル対応測定機の開発が求められたのである。その対応は先のピープルメータ調査の導入以上に、技術開発の面で苦戦が強いられたのである。
 ではデジタル対応の視聴率測定機はどのように改善されなければならないのだろうか?
当面の対応としてとられたのが、衛星デジタル・プラットフォーム内の個々のチャンネルの視聴を識別することであった。
 このデジタル対応の試作機はビデオリサーチ社から「データビジョン'98」という自社展示会において、いち早く発表された。しかしこのときの試作機は、当面200012月の「BSデジタル化」に対応したものであって、2003年の地上デジタル放送を睨んだ本格的な測定機器と呼べるものではなかったのである。
進む視聴のフラグメント化 

  他方、「多メディア化」、「多チャンネル化」によるメディア環境の大変化は、視聴者にとって、見ることの出来る番組数が多くなる分、個々の番組の視聴は分散され、「視聴のフラグメント化」に拍車がかかることになる。デジタル化時代の到来によって、高視聴率番組が減少するという奇妙な「現象」が生じ始めたのである。(つづく)

2015年7月9日木曜日

第25回 デジタル化時代と視聴率調査(その1)

デジタル化の幕開けを前に
  およそ10年の歳月をかけ、1997年、ピープルメータによる機械式「個人視聴率調査」がスタートした。この間のピープルメータ「導入」についての論議から、われわれは多くの教訓を得た。今度はデジタル化である。
 20089月、翌年の地デジ完全移行の半年前、米ニールセン社はいち早く完全移行を成し遂げたノースカロライナ州ウィルミントンで、デジタル対応測定機(A/Pメータ)を世帯に取り付け、本番さながらの最終実験を行った。他方、わが国では、200812月になっても、“視聴率調査はこうなる”との指針が示されることはなかった。2011年の完全デジタル化移行までに多少の時間はあるとしても、またしてもこの対応の緩慢さに業界は苛立っていた。

着実だった米ニールセン社の対応
  「デジタル化」の時代では、多チャンネル化し、多メディア化するため、メディア環境は大きく変貌する。視聴者の「選択肢」は多様なものとなり、畢竟、番組視聴率は小さくフラグメント化する。
 こうした状況下、米国では調査専門家委員会(The Council for Research Excellence)からニールセン社に対し“デジタル化時代に相応しい視聴率調査の構築を求める”旨の勧告がなされ、同社は直ちに現行視聴率調査改善へ取り組みを始めた。なかでも画期的な計画はA2/M2という取り組みである。
 A2/M2とはAnytime(いつでも)、Anywhere(どこでも)、Media(どんなメディアでも)、Measurement(測定できる)という調査システムの発表であった。デジタル化時代の足音が聞こえ始めた2006年。いち早くニールセンは、その対応を開始したのであった。

録画の再生視聴やモバイル対応に着手
  デジタル化されると帯域はこれまでのものとは大きく異なるため、測定機自体の改善が不可欠となるのはいうまでもない。否、それ以上に大きく異なるのは、視聴機器の変化がもたらす視聴者の「視聴態様」の変容である。
 人々は番組をライブ視聴するのではなく、“見たい番組は、見たいときに見る”という視聴習慣が生まれたのである。またテレビ受像機以外の機器による番組視聴という現象も常態化した。
 そのためニールセンは「ライブ・プラス視聴率」の算出を余儀なくされ、1週間以内の録画の再生視聴率を実放送の視聴率に加算する「プラス・セブンデイズ」視聴率の算出に着手した。

 またインターネットによる番組の視聴やストリーミング・ビデオの測定などの実験調査にも着手。Solo MeterGo Meterなど、さまざまな環境下に対応できる測定機の開発に腐心したのである。なかでも関係者の目を見開かせたのは、音声信号の識別により、自宅以外の場所での視聴を測定する可搬式視聴測定機(IMMI Phone Meter)の開発であった。                                                                    (つづく)

2015年6月1日月曜日

第24回:ピープルメータ調査の導入 後日談(続々) 有名無実に終わる「視聴率調査検証委員会」


検証委員会の活動
  ピープルメータ調査が正式に導入されてからもこの調査についての「お目付役」として、「視聴率調査のあり方に関する調査研究会(検証委員会)」の活動は続いた。
  検証委員会の主な活動は、導入時にそうであったように、主としてイ)ピープルメータ調査のサンプリングの状況、ロ)視聴実態の記録に関する事項、ハ)サンプル世帯の管理、ニ)データ管理と集計システムについての4項目で、調査主体であるビデオリサーチ社のピープルメータ調査サンプル世帯の調査協力を監視する応諾率のチェックとサンプル世帯の家族によるボタン操作の正確性とを重点的に精査することであった。

曖昧な監査
 しかしながら検証委員会の行った精査は、ただただ唖然とするばかりの実に曖昧なものでしかなかったのである。そもそもこの検証委員会の構成員からして、日本民間放送連盟(民放連)、日本広告主協会(主協:現・日本アドバタイザーズ協会)、日本広告業協会(業協)の調査責任者がメンバーとなっているのではあるが、彼らは自社内において自らの仕事に忙殺されているため委員会の肝心要の「しきり役」が不在で、ビデオリサーチ社に対し“ヒアリングを行う”としながらも、その実態はビデオリサーチ社がまとめてきた「調査内容」を聞き取るだけという体たらくで、同社からの報告と説明に対し、幅広い観点から、その妥当性を検証するには遠く及ばないものであった。曰く、“現行の視聴率調査に関する共通認識を得ることができた”という文言の記述が、検証報告書に幾度となく繰り返されたのであった。

わずかな救い
  業界三団体からの寄せ集めとなった「検証会」では、“共通認識を得る”ことで精一杯だったのかも知れない。しかし毎年都合7回も検証会を開きながら、その程度の監査内容では「勉強不足」の誹りを免れることが出来まい。
 しかし競合社不在の一社独占体制にあるビデオリサーチ社には、検証会を開くことで、少なからずプレッシャーを与えたということを考えるなら、検証会の「意義」もあながちないとは言い切れないのかも知れない。

「検証」は専門機関で
 結局、“その程度のことしか出来ない”のであれば、やはり「検証会」は三業態の調査責任者による片手間ではやっていけないし、「検証会」の内部に調査の専門家を「専従」させるか、米国でそうであるようにMRC(Media Rating Council)やCONTAM(Committee On Nationwide Television Audience Measurement)などのような第三者の監視機関を設立し、視聴率調査において最低限遵守されなくてはならないミニマム・スタンダードやプリンシパルズのようなリサーチ・ガイドを作成。視聴率調査の実施における原理・原則に照らし合わせた、キッチリとした「監査」を行う必要があるだろう。
 そうすれば、少なくとも“共通認識が得られた”とか、“検証に当たっては、ビデオリサーチ社の全面的な協力姿勢を高く評価する”などという愚かな発言が出ては来ないはずである。
 いずれにせよ、有名無実な委員会の活動にホッと胸を撫で下ろしているのは、誰あろう調査主体のビデオリサーチ社であることを忘れてはなるまい。
 ピープルメータ調査の導入で、一波乱も二波乱もあったが、嵐が過ぎ去った後はニールセン社の視聴率調査ビジネスからの撤退により、ビデオリサーチ社の視聴率調査事業は「安堵」されたのである。

 次回からは「デジタル時代と視聴率調査」について論じる予定である。

2015年4月30日木曜日

第23回:ピープルメータ調査の導入 後日談(続) ビデオリサーチのお家騒動と大株主・電通の介入

社長を訴えた常務と監査役
  ピープルメータ調査の導入後、ビデオリサーチ社には創業以来、かつてない大嵐が吹き荒れた。三代目社長石川正信が「商法違反」を指摘され、退陣を迫られたのであった。ことの次第はこうだ。第19回の当ブログでも触れたが、週刊朝日にビデオリサーチがピープルメータ調査の導入に消極的なのは、土地投資の失敗による資金ショートに原因があると指摘する記事が掲載された。
 取締役会の「先決的決議事項」であるにもかかわらず、これに諮ることなく土地取引を独断実行したことは「善良な管理者としての義務違反」であると、常務取締役の山本三郎と常勤監査役の山之口俊彦の両名が、文書をもって社長退陣の狼煙を上げたのである。
 事態は大株主電通の知るところとなり、電通がその「鎮圧」に乗り出したのである。

電通による介入
  ビデオリサーチ社の創設時は別にすると、大株主である電通の社長人事による介入は、今回が二度目であった。198410月、二代目社長・波田野静治がスキルス性の癌のため死去したとき、電通社長の田丸秀治が“三代目社長にはこの男を”と石川正信(電通マーケティング局長:当時)推挙してきたのが最初である。石川はDCDDentsu Corporate of America)の社長を務めた男で、海外、とりわけ米国のメディア・リサーチに詳しく、田丸の片腕として、手腕を発揮していたため、田丸は社長に推したかったのであろう。しかしビデオリサーチ・サイドは専務取締役・渡部文雄の社長昇任を考えており、田丸の「石川案」を断念させるべく、創業以来、監査役、相談役をお願いしていた東芝会長・岩田一夫に事情を説明し、電通田丸に石川案の断念を依頼した。岩田は田丸に対して“資本と経営は別物。三代目社長はプロパーから”と、渡部案を強く主張したが、田丸の“今回限りは、石川で是非”との申し出を断り切れず、“以後は必ずやプロパー社長で”と念押しして、三代目社長として石川を受け入れたのであった。

4代目社長はかつてない大物
  そうした経緯があってか知らずか、“さもビデオの社長人事権は電通にあり”といわんばかりに、4代目社長に石原昭利(電通副社長・当時)が送り込まれた。そこにはかつての「岩田・田丸会談」で取り交わされた密約は反古となってしまっていたのである。
 創業以来の「ごたごた」とピープルメータ調査導入直後の「混乱」を鎮めるには、電通の現役副社長の「にらみ」をおいて、他に手段はなかったのかも知れない。いずれにせよ、ビデオリサーチによるピープルメータ調査は、何事もなかったかのように、「スムーズ」な船出となったのである。
 ピープルメータ調査の独断導入を図ったニールセン・ジャパンは、民放各社から契約の打ち切りを申し渡され、199912月をもって、わが国における1961年来の視聴率調査の幕を下ろしたのである。
 ビデオリサーチ社の視聴率調査ビジネスの「一社独占」体制が確立していったのである。

2015年4月16日木曜日

第22回:視聴「質」調査 導入後日談

  視聴「質」調査をめぐる論議は、米国で「ピープルメータ調査」が導入された1987年以来、およそ10年を経た後、ビデオリサーチ社によって、1997年にわが国でも本格導入された(ニールセン調査の導入は1994年)。
 しかし導入後、その余波は大きく、数々の「逸話」を生んでいる。その逸話をいくつかご紹介しよう。

資生堂と女子マラソン
 わが国化粧品メーカー最大手の資生堂は、その企業理念として“一瞬も一生も”を掲げ、主として女性の「美と健康」に資することを目標に、弘山晴美選手や谷川真理選手などを輩出。女子マラソンの冠スポンサーとして、業界発展に大いに貢献したことは、よく知られるところである。
 その資生堂が「ピープルメータ調査」の結果を見て、腰を抜かさんばかりに驚いた一件があった。当時、資生堂の宣伝部コーポレートコミュニケーション戦略室長の職にあった大竹和博(故人)が、社長の福原義春(当時)に呼びつけられ、“広告に無駄な経費をかけるな”と叱責されたのである。

女子マラソンを見ているのは高齢男性だった
 資生堂には「ランニングクラブ」があって、多くの選手が女子陸上界で活躍している。なかでもマラソンはテレビ中継され、資生堂の「花椿」のゼッケンを付けて疾走する女性ランナーたちの姿は、同社の「美と健康」のモットーにぴったりのコンテンツである。
 ところがこのマラソン中継が、同社製品のメイン・ターゲットであるF120~34歳女性)をカバーしてないことが「ピープルメータ調査」の視聴率結果から判明したのである。“若い女性たちに「女子マラソン」を見てもらおうとこの番組を提供しているのに、見ている人の多くがM235~49歳男性)やM350歳以上男性)では、広告費をどぶに捨てているようなものではないか!”というのが、福原の叱責理由であった。大竹が善後策に奔走したのは申すまでもない。後日、某業界誌での鼎談に大竹氏とご一緒したとき、その苦心談を聞かされ、大いに同情したものである。

女子マラソンを高齢男性が見ているわけ
 では、どうして女子マラソンの中継がターゲットであるはずの「女性」たちに見られたのではなく、「男性」たちによく見られたのだろう?
 もともとマラソンは、その過酷な運動量が求められるため、女性ではなく、男性の競技として生まれたものである。また近頃のマラソンは五輪の選考基準として開催されるため、記事掲載は、往々にして男性選手の話題が中心となっている。果たして女子マラソン開催を伝える記事が、活字メディアに掲載される機会が多くあったといえるだろうか?「女子マラソン」のテレビ中継を、是非、若い女性たちに見て欲しいと記事に、広告紙面として、大きく取り扱われただろうか? 
 翻って、なぜ女子マラソンは、男性視聴者によく見られたのだろうか? 少しうがった見方をすれば、女子ランナーを追いかけるカメラに、その一端があったろうと思われる。美形ランナーの顔を大写しにしたり、胸のあたりや下半身の揺れ動く様を執拗に撮り続けるテレビ・キャメラが、高齢視聴者の「好奇心」を刺激しなかったかといえば、嘘になるだろう。日曜の昼下がり、テレビの前にかじりついて番組を見ているM3たちにとって、「女子マラソン」の中継が恰好のお楽しみの一つとなったといっても過言ではあるまい。
 いずれにせよピープルメータ調査の視聴率が、大手広告主資生堂の番組提供のあり方に大きな一石を投じたことは間違いないことであった。 (つづき)

2015年3月3日火曜日

第21回:視聴「質」調査の導入をめぐって⑤

ピープルメータ調査の「検証」
 ニールセンが日本民間放送連盟(民放連)のピープルメータ調査導入反対を押し切って「独断実施」したのに対し、ビデオリサーチがとった300世帯による同社ピープルメータ調査の実験結果のデータ提供(19953月)は、民放連、主協(日本広告主協会=現・日本アドバタイザーズ協会)、業協(日本広告業協会)に、極めて好意的に受け止められた。
 三業態は、早速、学者諸氏に対して、このデータの「検証」を委託した。学者諸氏は、ビデオリサーチ社のピープルメータ実験調査について、調査サンプル世帯の応諾率(=代表性)、調査対象サンプル各人の視聴入力(=ボタン操作)の正確性、測定手法の妥当性の3点から検証しようとしたところ、驚いたことにこの「検証」には“是非わが社の調査も加えて欲しい”と、ニールセンから、この実験への参加申し入れがあり、次の5項目について「検証」することになった。

曖昧な検証結果
 半年かけて①サンプリングの状況、②視聴実態の記録に関する事項、③サンプルの管理、④センサーと警報の効果、⑤データ管理と集計システムについて行われた「検証」結果は、19966月、「機械式視聴率調査検証報告書」として、まとめられた。
 しかしながら、学者諸氏のこの調査に下した「見解」は、いかようにも取れる曖昧なものであった。すなわち“両社の調査には、いくつかの問題点はあるものの、適切な改善がなされれば、個人視聴率を測定する方法としては有効”というものだったからである。
 この見解に対し、「いくつかの問題点がある」という前段の指摘を重く見た民放連は、“導入は時期尚早”と導入反対を強く唱え、一方の主協は後段の「測定方法としては有効」との見解をもって“お墨付きが得られた”と、早期の導入を激しく迫ったのである。
 学者諸氏による「検証」が、玉虫色の見解として示されたために、かえって事態は混乱。導入論議は出口の見えない「袋小路」に陥ってしまったのである。

事態を突き動かした業協
 こうした「膠着状態」にあったピープルメータ調査を導入に向かって突き動かしたのは、わが国の二大広告代理店の電通と博報堂であった。両社のテレビ担当役員は“もはや機械式個人視聴率の必要性を強く求める外資系スポンサーの声を拒み続けることは出来ない。一刻も早くピープルメータ調査の導入を!”と在京民放5社を説得して回ったのである。
 民放連は「テレビにとって視聴率とは」と題したリーフレットを作成して、“視聴率はあくまでも世帯視聴率が中心であり、個人視聴率をメディアの取引データとしては利用しない”という個人視聴率問題特別委員会見解を提示して導入に反対したものの、早期導入に傾いた流れを止めることは出来ず、今後とも「視聴率に関する懇談会」のもと三業態として、引き続き継続審議する旨を確認した上で、導入を受け入れたのである(1997/3)

 ピープルメータ調査の導入は上記のように決して円満な「業界合意」ではなかったため、折に触れてぎくしゃくはあったが、時の推移とともに、継続審議も有名無実の反古となり、なし崩し的にピープルメータ調査は視聴率のスタンダードとなっていったのである。

2015年2月2日月曜日

第20回:視聴「質」調査の導入をめぐって④

「ピープル・メータ調査」導入に向けた駆け引き 
  この調査導入に積極的な主協(日本広告主協会:現・日本アドバタイザーズ協会)は、日本ニールセン社には“応援するから”と煽り立て、新聞や雑誌などの活字メディアには毎週のように視聴質の重要性を論じるニュースを配信した。
 他方、導入に慎重な民放連(日本民間放送連盟)は、“時期尚早”、“ベターな測定方法が開発されてからでも導入は遅くない”とのスタンスを決め込み、主協の強硬な攻勢にも一歩も後に引くことはなかった。こうした状況にあってさえ業協(日本広告業協会)は、どっちつかずの「模様見」を決め込んでいたのである。
 渦中のビデオリサーチは動じることはなかった。なぜなら測定機の開発という技術面も、調査サンプルの抽出やサンプル世帯の説得、測定機の設置といったリサーチ面においても“いつでも準備OK”の状況にあったからである。そしてあくまでも導入に向けての三者合意(主協・民放連・業協)がなされたときには、遅滞なく事が運べるよう体制を整えていたのであった。

ニールセンが「勇み足」
 「ピープルメータ」調査の早期導入こそが、ビデオリサーチとの売り上げ面での遅れを取り戻すのみならず、以後の視聴率調査ビジネスを掌握する切り札と考えたニールセンは、主協を後ろ盾に、199411月を機にピープルメータ調査を実施すると宣言したのである(1994/7)。直ちに民放連からは宣言の「白紙撤回」の申し入れがなされ、さもなければ“現行視聴率データの購入契約破棄もやむなし”との強い意向が示されたのである。
 ニールセンは、民放連の「白紙撤回」を単なる脅しとしか思わなかったのだろうか?それとも“主協という強い見方があるから”との過信があったからだろうか?いずれにせよ、予定通りピープルメータ調査を実施したことで、最大の顧客となるはずの民放連を敵に回してしまったのである。
 東・阪・名3地区の主要民放テレビ局はニールセンが宣言通り、この調査に踏み切るや、即刻、契約の破棄を申し入れたため、同社のテレビ局からの視聴率調査収入は「ゼロ」になってしまったのである。

したたかだったビデオリサーチ 
 こうしたニールセンの危機を尻目に、ビデオリサーチの示した「態度」は実にしたたかであった。199410月、測定機の開発状況を開示し、実験結果をまとめたた「データ・ビジョン94」を銀座東武ホテルのバンケット・ホールを借り切って開催。ニールセンがピープルメータ調査を開始、民放連が記者会見でその暴挙をなじる「見解」を発表するのを待って、今がチャンスとばかり、300世帯によるピープルメータ調査の実験を開始するとともに、結果を民放連、主協、業協に向けて発信。三業態のワーキング・グループとの共同研究を提案したのであった。

 この「作戦」は、見事に的中した。機械式個人視聴率調査から弾き出されるデータに、ワーキング・グループは目を見張り、ビデオリサーチの取り組み姿勢を評価するとともに、学者諸氏を交えての「検証会」を始めたのであった。
(つづく)