テレビウォッチャー

2014年5月7日水曜日

第8回:機械式調査の導入 

視聴率にジャーナリズムの関心
  NHKと電通による「視聴率調査」は測定結果に大きな違いが生じた。前回お話ししたように、調査手法が異なっているのだから、測定結果が異なるのは当たり前なのだが、その違いの大きさばかりがジャーナリズムの目にとまり、“どちらの調査が正しいのか”と、大騒ぎになった。「操作性の違い」がもたらす「測定結果の違い」など、統計調査に疎いジャーナリストに、聞く耳など、あろうはずもなかったのである。
 “米・英ではメータを使ってテレビ視聴率調査をやっているそうじゃないか”、“日本では導入しないのか”と、そんな議論が業界を席巻した。

 “ニールセンを呼ぼう!”
 テレビの媒体としての優位性をいち早く見抜いていたのは、正力松太郎であった。彼は米上院議員のK.ムントの“Vision of America”に強い影響を受け、わが国にテレビの導入を図った男である。ムントの“全国ネットを含め日本ならB29二機分の予算でテレビを導入できる”の一言に心底衝撃を受けたからである。
 正力はわが国初のテレビ開局に向け、辛酸をなめる思いで奔走した。その努力が報われ、テレビは導入後わずかに6年でラジオの広告費を追い抜いたのである。“いよいよ機械式の視聴率調査を導入せねば・・・”正力の夢は大きく膨らんでいった。もちろん、狙いは米ニールセン社の日本誘致である。
 そのころ自国でのメータ式視聴率調査を立ち上げたA.C.ニールセン社は、その矛先を英国に定め、英国での視聴率調査の導入を完成させた直後であった。次のニールセン社の
照準は日本である。まさに正力の野望とニールセンの狙いとが合致した時であった。

読売・正力と電通・吉田の確執 
  正力のニールセン誘致とは別に、電通社長の吉田秀雄も機械式調査の重要性を肌で感じ、自社内で密かに視聴率測定機の開発をはじめていたのであった。たかが機械式視聴率調査の導入に、源平の宇治川の合戦もどきの「先陣争い」をしなければならなかったのだろう?
 そこには正力と吉田の男の意地をかけた「確執」があったからである。言わずと知れた正力は読売中興の祖であり、電通吉田も「鬼十則」を唱え、早朝会議を提唱して停滞していた電通を甦らせた「広告の鬼」であった。その吉田が目を付け、人・物・金を惜しまず支援したのが、ローカル・ラジオ局の開局であった。読売・正力が日本テレビ立ち上げに電通を頼りにしたのは、当然のことであった。が、しかし吉田の回答は、にべもない断りであった。やむなく正力は、宿敵であるはずの朝日、毎日に頭を下げ、出資を請うたのであった。今度は吉田の番である。“国産視聴率調査測定機の開発の目処がついた。新会社立ち上げに出資して欲しい”ビデオリサーチ社の設立目論見書を持参した吉田に正力が投げかけた言葉は想像に難くないだろう。吉田の手には他社の半額の出資額が書かれた小切手が握られていたのである。
 いよいよニールセンとビデオリサーチの視聴率調査導入計画が本格化し、ニールセンがいち早く導入に踏み切ったのであった。 (つづく)

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